VIVOVA VOL.119 2023 SUMMER
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迷わず芸能界への道を選ぶ在学中にスカウトされて東大出身の女優として一気に注目を集める──その後は東京大学に進まれました。──在学中に芸能界に入りますが、きっかけは?──女優としての活動も始まって、将来のことはどのように考えていましたか?──東大出身という肩書は、ご本人にとってどうだったのでしょうか?──『バンキシャ!』や『とくダネ!』といった番組にもレギュラーとして長く出演されていました。連日の生放送は、大変ではなかったですか?いで女子は3人だけ。これまでとまったく違う雰囲気で、だいぶ戸惑いました(笑)。それに、大学は自分から探究心を持って学ぶべき場所だと思うのですが、そのための準備もできてなかったように思います。将来のことをしっかり考えて入学したわけではなく、レールの上を何となく進んできたところがあったのかもしれません。        にモノ作りに関われるかなという理由で、建築学科に進みました。でも、建築家の名前なんかひとりも知りませんでした(笑)。建築学科は提出課題が多いことで有名だったのですが、それも知らが、大学に入って受験からも解放されて、そんなときに楽しそうなことができると思って、ぜひやってみたいと思いました。芸能界には以前から理科一類に入ったんですが、クラスは50人くら学科を選択するとき、理系の中でダイレクトずに入ったので、余計に大変に感じましたね。モデルとしてスカウトされたことがきっかけでした。突然新しい扉が開かれた感じでした大学2年生のときに、興味はあったんです。高校生のときから映画に夢中で、毎日のように近所のレンタルビデオ屋さんに通って映画を観ていて、いろいろな役を演じる仕事にはあこがれがありました。いざ始めてみると、そこには厳しいプロの世界が待っていました。モデルも単なるポーズではなく表現する仕事なので、それが写真に出てしまいます。あとで見てガッカリしてました。ほどなく女優の仕事がメインになったんですが、撮影を通していろいろと学ばせてもらいました。女優デビューは『危険な関係』というドラマで、主演が豊川悦司さんと藤原紀香さんという、まさに第一線級のお二人でした。演技も特に経験がなく、緊張してすっかり萎縮していたことを覚えています。ドラマに出演したのは大学4年生で、卒業論文の制作と重なっていたと思います。仕事がないときは、夜まで研究室にこもりきりの生活でした。 そのころには、もう芸能界で生きていこうと決めていました。やってみないと絶対に後悔すると思ったんです。いつもは優柔不断なのですが、そのときだけは何の迷いもありませんでした。その意味では悩みがなくて、気持ちは楽でしたね。ところに呼んでいただくようになりました。ありがたいことにすぐに忙しくなって、仕事と仕事のしたが、そうやって出してもらえる場があって、活えでも、「勉強はできましたか?」と聞かれてそないかと心配で、おちゃらけて答えたりとか。そういった機会はかなり多かったのですが、なかなくて、その点では本当にダメだったんですが(笑)、東大出身ということで注目されて、いろいろな移動の合間にドラマのセリフを覚えるような毎日でした。でも、そんな環境でも繰り返していると、人って慣れちゃうんですよね。とにかく「これをクリアして、次の現場に行かなきゃ」の連続で躍する時間をいただけることに喜びを感じていました。目の回る忙しさでも、基本的に楽しかったから続けられたんだと思います。東大の肩書だけで嫌われるんじゃないかという心配があって、それがすごくストレスでしたね。当時は、そういうところを出さないようにいつも気にしていました。例えばインタビューの受け答のまま「はい」と答えると嫌みに聞こえるんじゃか慣れなかったです。確かに大変な番組だったんですけど、私は生放送が好きなんだと思います。社会の情報に疎o3

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