VIVOVA VOL.120 2023 AUTUMN
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つかこうへい氏と出会う大学中退・渡米失敗の末に『世界の車窓から』は旅する気分でナレーション──今に至るアウトドアとの出会いがあったんですね。──つかこうへいさんとの出会いは?──稽古や舞台はいかがでしたか?──そのときのお仕事の状況は?で、それ以来、山に魅了されました。高校卒業後は日本大学藝術学部演劇学科に進みます。日藝には変わった人がたくさんいて刺激も多く、遊ぶには最高の場所でしたが、通ううちに「役者を目指すには何か違うな」と思うようになり、逃げるように山にばかり登っていました。一方で、このまま登山を続けていても役者になるのに役立つとも思えず、大学2年のときに山登りを封印。結局、大学も辞めてしまいます。のですが、ビザ取得には1万ドルの現金が必要だと聞いて、お金を貯めます。ホテルで住み込みで働きながら、朝はビルの清掃、夜は居酒屋と、寝る間も惜しんで働き通しました。200万円くらい貯めたのですが、当時は1ドル360円で、まだ足りません。知り合いが投資で増やせるというのでお金を預けたのですが、何と持ち逃げされてしまい、すべてを失ったんです。送別会までやってもらったあとで、立つ瀬がなかったですね。そうですね。久住山の登頂は素晴らしい体験その後、渡米しようと思い立った大変でしたけど、それがダメになったから、僕はその後、演出家のつかこうへいという人に出会えたわけです。バイト先の近くで、つかさんが舞台の稽古をやっていたんです。それがミュージカルで、ダンスができる役者を探していると声をかけられました。そんなに乗り気ではなかったのですが、見学に行ったんです。つかさんは、役者だろうがスタッフだろうが、その場にいる人が気になったら「前に出ろ」と声をかけて、使う人でした。僕は当時、ダンスの練習をやっていたので、声をかけられたんです。そして、そのまま稽古に参加してしまいました。当時、つかさんの舞台は大人気で3000人くらいがオーディションを受けに来ていたのですが、僕はそんな流れで、つかさんの舞台に出られるようになったんです。ものすごく濃い時間を過ごさせてもらいました。風間杜夫、平田ンバーがいて、稽古も本番も面白かったですよ。つかさんの演出は独特で、台本がないんです。口立てという手法で、その場でセリフを考えて役者に復唱させ、その様子を見ながら演技やセリフを変えてどんどんふくらませながら舞台を作っていきます。途中まで進めてもダメだと思ったら捨ててしまいます。稽古では、それを12時間くらいやり続ける役者の卵満、根岸季衣、加藤健一といったメんです。千のシーンを作って、採用するのはそのうちの数十という感じで、精神的にも体力的にも大かりませんが、とにかく面白くて続けました。仲間から後いったん解散になります。僕が主演の舞台も1まいました。そんなとき、テレビ東京の『おーわらナイト』というドキュメント番組のナレーションをやってみないかと、声をかけられました。その頃の僕のしたが、声の仕事はオーディションを受けても全部とでしたが、2年間やらせてもらいました。レーションを聞いて、「この人の声、何か明るくて楽うです。番組は1987年に始まって、放送回数は変な作業でしたが、これが面白いんです。厳しいし、怒られっぱなしだし、何度辞めようと思ったか分つかこうへい事務所には5年間所属して、その本作ってもらいましたが、つかさんとご一緒できた経験は、僕の人生の財産になっていますね。何もないんですよ。30歳で仕事をほぼ失ってし声は今よりももっと高くて、抜けるような印象で落とされていたんです。そのためちょっと意外なこその後33歳のとき、『世界の車窓から』が始まります。プロデューサーの岡部憲治さんが僕のナしそうじゃない?」という理由で選んでくれたよ1万回を超えました。『車窓』のナレーション録りo3       

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