人の心を揺さぶる演技は俳優の人生から紡ぎ出されるプロの俳優としての生き方に大きな影響を受けた海外作品への出演──俳優として活動しようと思った理由はあったのでしょうか?──『海猿』シリーズをはじめ、さまざまな役を演じられてきましたが、演じる上で大切にされていることはありますか?──俳優として活躍されている中、海外へ移住されました。──そのころには、海外作品にも出演されましたが、国内作品の撮影と違いはありましたか?そのときには、自分には芸能界は向いてないと思って岐阜に帰ろうと思っていました。でも、それまで親に心配をかけてきたので、東京に残ってアルバイト生活を続けることにしたんです。2年ほどたったときに声をかけられて、俳優として再デビューすることになりました。持ちを支えてくれたものにテレビ番組やドラマ、映画などの映像のエンターテインメントがありました。すごく助けられたと思います。少年時代は、俳優という仕事があるということがあまりわ飛び込んでいくシーンを見て、あんな風に鎧を着て、槍をぶん回しながら馬に乗ってみたいと思ったことがきっかけです。ほかにも『彼女が水着に幼少期の体が弱かったころ、うっ屈した僕の気かっていませんでしたが、テレビの中の登場人物のようになってみたい、やってみたい、演じてみたいという気持ちがあったと思います。例えば、乗馬をやってみたいと思ったのは、映画『敦煌』の中で、西田敏行さんが単騎で敵陣にきがえたら』の織田裕二さんを見て、時代の最先端のライフスタイルに憧れてスキューバダイビングをやりたくなったりと、エンターテインメントから影響を受けることが多かったんです。どこかで「演じてみたい」という気持ちはずっと持っていたと思います。見る人を感動させるのは、人の感情が動いた瞬間です。それに必要なのはリアリティだと思います。僕が尊敬している津川雅彦さんにいただいた「人の人生には、幸せなことやうれしいこと、つらいことや悲しいことが起こるだろうけど、それを演技に変えることで人を救うことだってできるんだよ。俳優は人にあらずなんだ」という言葉がずっと心に残っています。演じることで人に影響を与えて、それは広く捉えれば社会に貢献することにつながると思います。僕にとってはつらい経験でしたが、小さいころの入院は僕にリアリティを教えてくれました。入院中はさまざまな場面で、厳しい現実を見ることにもなりました。周囲で人が亡くなったりしていましたし、来る人の激情に触れることもありました。息子さんが亡くなってしまった親御さんの表情やまなざしなど、忘れることができません。病院で見たそんな情景、そんなリアリティは、今の自分の演技にも影響しているように思います。思います。さまざまな経験をすることで、演技に厚みを持たせられますし、リアリティを持って演じることで、人の心を揺さぶることができるのだと思います。「何かしなくちゃ」「仕事をしなければ」という気合って、子育てにも専念して、子どもの成長を見から4年ほど米国のサンディエゴに移住しました。思っていました。「2週間後にルーマニアに来られますか?」というオファーがありました。『ドアマン』という作品で、津川さんが伝えてくれたとおり、俳優というのは、自分の人生を反映させて役を演じるものだと海外に移住したのは、語学の勉強という目的もありましたが、家族と向き合いたいという気持ちも大きかったんです。日本にいると、どうしても持ちになってしまうんです。家族ときちんと向き逃したくないという気持ちもあって、2016年一方で、大切なものと向き合って生活する経験は、俳優として成長する意味でも大事なことだとサンディエゴに住んでいるときに急に連絡が来て、o3
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