「尾木ママ」という名前明石家さんまさんがくれた──「尾木ママ」と呼ばれるようになったいきさつを教えてください。──テレビで人気が出ると、尾木ママさんを取り巻く状況も変わりましたよね。 「虹」を立ち上げたのです。実際に現場に入って、課題を発見する臨床教育学を専門としています。現場で子どもの声を聞き、データを集め、そこで見つけた課題を、学会ではなくメディアを通して広く世間に伝える考えたのです。んなんです。2009年、『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース』という年末番組に呼ばれました。これまで情報番組からの依頼はあったのですが、バラエティは初めて。その年の教育に関するネタを集めて話すという内容で、研究所のスタッフ総出でネタを探してまとめ、収録に向かいました。もつい家族に話しているように「そうよねぇ」と相づちを打っていたんです。すると、さんまさんが突然「ママ!」と叫んで誰かを呼ぶんです。見回していたら、僕の虹の架け橋この名前を付けてくれたのは、明石家さんまさ収録は楽しくて、僕になりたいとところにやってきて「あなただよ」と言うじゃないですか。僕も「ママじゃないわよ!」と返したりして、その場はワイワイやってたんですね。ただ僕は、いつもの情報番組の常識で考えていて、そんな余談は全部カットされると思ったんです。しかし当日、放送を見て度肝を抜かれました。そのやり取りはまったくカットされていなくて、おまけに僕の発言のテロップだけは全部ピンク色で、最後にハートマークまで!授でしたが、これは大学から処分があるだろうと、本気で焦りましたね。年明けの1月に、総長室に呼び出されました。いよいよ処分が下ると思って行ってみたら、まったく逆で、本来は年度末で定年退職ですが、新しいポストを用意するので任期を延長させてほしいという依頼だったんです。メディアでの活動を応援してくれるというお話でした。テレビ業界では、いったんブレークすると、 あらゆる番組に呼ばれるんですよね。有名な番組にはひととおり呼ばれたんじゃないかしら。講演会にも人が殺到しました。一時期は出待ちの人もすごい数で、ちょっと怖いくらいでしたね。僕も「尾木ママ」のイメージに合わせて衣装を華やかに変えて、ブローチを着けるようにしました。でも、尾木ママというキャラクターは無理して作っているわけではなく、素の自分と重なっているんですよ。さんま当時は法政大学の教かったと思います。尾木ママになってから僕の声は、一般に広く届くようになったと実感しています。だからこそ、これからも教育現場をさんは、何か僕が持っているものを見抜いていたんでしょうね。さすが一流だなと思います。以前から講演にはたくさんの人が来てくれていたので、自分の言葉が広く伝わっていると思っていました。でも、それは勘違いで、一部の意識の高い人にしか届いていな見続け、子どもたちと一緒に発見を続けていきたいと思います。解決策を教えてくれるのは、いつも子どもたちなんです。尾木ママさんのサイン入り色紙を5名の方にプレゼントします。■ご応募は前田建設公式サイト「VIVOVA読者アンケート」(右記QRコード)にご感想をご記入の上、回答を送信してください。■当選の発表は、プレゼントの発送をもってかえさせていただきます。■締め切りは、2024年6月15日受付分までとさせていただきます。ふるってご応募ください。o4iveActOGIInterview MAMA読者プレゼントPresent
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