町屋駅前南地区第一種市街地
再開発ビル(仮称)新築工事#1

 東京都荒川区町屋は、関東大震災のあと、都心から人々が移り住んだ民家の密集地。狭い路地が縦横に伸び、消防自動車が入ることができず、地盤が緩いため防災対策も急がれていた。
 町屋には東京唯一の都電荒川線が走り、昭和43年以降は東京メトロ千代田線、京成電鉄本線も開業して交通の要衝、商業の中心地として発展した。昭和50年代に入ると地元で再開発の要望が高まり、平成12年9月に町屋駅前南地区市街地再開発組合を設立。同年12月に再開発事業の認可を受けた。組合認可後に事業許可を受けるのは、東京初のケースである。このとき、東京都内で最後の都市開発法110条型再開発になるであろう、と言われた。
 当初、この再開発プロジェクトは、住宅供給公社の参画による賃貸マンションを計画した。ところが、住宅供給公社の方針変更により、再開発計画は宙に浮いた。それでも再開発を成功させるために、組合は分譲マンションとして計画を立て直し、事業協力者の前田建設の協力を得て、建物の設計も根本的に見直した。その結果、日本で初めての超高層中間免震構造を採用し、楕円形の斬新な外観のランドマークとなるマンション建設計画へと発展した。再開発組合は、資金調達から、マンションの販売まで事業を推進して、見事に再開発計画を軌道に乗せた。
 当組合は更に23区で最初の組合直接分譲という試みに取組み、構造、施設等を充実させることで魅力的なマンションとなり、お客様にも大変好評を博しております。
 ここに住んでいた地権者のみなさんが、再びこの土地に住むことができる、それが再開発の精神です。マークスタワーは、免震、防災井戸、屋上ホバーリング施設、防災備蓄倉庫、マンホール型簡易トイレ等を設けて、災害発生時には、地域の防災拠点として機能します。地元に貢献してこそ、再開発の意義があるのです」と語った。

町屋駅前南地区
市街地再開発組合

理事長 木内輝男

 平成12年、再開発組合が認可され、前田建設が町屋駅南地区再開発の事業協力者となった。町屋再開発プロジェクト部長として赴任した川島要一は、再開発プロジェクトのマネージャーとして、マンションの住宅プランを作成し、地権者132人の権利変換のために奔走した。
 110条型再開発には、その土地の所有権者、借地権者、借家権者、全員の承諾が必要とされる。地権者には、大型店舗・個人店舗・貸家の所有者と賃貸による居住者がいる。職業も年代も価値観も、置かれている状況もさまざまである。遠隔地に住んでいる地権者もいる。
 再開発計画がスタートしてから約20年。その間に、地権者の世代交代があった。バブル経済の全盛と破綻という大きなうねりもあった。バブルの名残が色濃く残る中で、再開発の同意を得ることは並大抵のことではない。地権者の同意を得るためには、マニュアルなど通用しない。

完成予想図

 市街地再開発で、地権者の権利変換同意取得から、マンションの住宅プランニング、仮設店舗の建設や既存建物の解体、再開発ビルの建設、マンション分譲・引渡しまで、すべてにかかわり前田建設がプロデュースするのは、このプロジェクトが初めてである。したがって、社内に経験者は一人もいなかった。

 川島とともに権利変換の交渉にあたった工務副所長の小高直也は、苦難の日々を振り返り「この建物の建設には、さまざまな技術が詰まっています。いろいろな技術を経験したい、とにかくこの建物を建てたいという一心で頑張りました」と語った。
 地権者の権利変換が無事完了し、居住者の引越しや建物の解体が始まったのは、平成15年8月のことだった。

町屋再開発作業所
工務副所長 
小高直也

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