福島県楢葉町除染等工事#1

前田×復興 福島県楢葉町除染等工事 東日本大震災復興支援 2014

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願うは「一日も早い復興」

 

 きっと、古くから山海の実りに育まれてきた土地なのだろう。
 海抜40mあまり、太平洋を臨む天神岬からは、東日本最大級という弥生時代の古墳、先土器時代の遺物が出土し、考古学の世界を驚かせた。
 その天神岬から見渡すと、霞みがかった町に、前田が造成した除去土壌等の仮置場が点在しているのがわかる。
 前田が楢葉町の除染等作業に着手したのは平成24年9月。9地区を除染する「その1工事」、続けて6地区が対象の「その2工事」を手がけてきた。
 除染対象の総面積は約2100ha。東京都なら港区が収まる広さだ。これを2年とかけず除染する計画に、環境省と町民の切実な思いがにじむ。応えるために、「その1工事」「その2工事」が重なる最盛期で3500人以上の作業員を動員する、空前の規模で挑むことになった。
 町中から収集した土や草木などを特殊な土嚢に詰めて積み、さらに側面から上部まで遮蔽土嚢できっちりと囲い込む。高さ3メートルほどになった土嚢の山を、底面から遮水シートでぐるりと覆い、その継ぎ目を熱溶着して念入りに密封する。いま町の随所で目にできるのは、その成果だ。

 

前田一丸となった取り組み

 

 「前例がない作業だけに、どんな課題と遭遇するか読みきれません。しかし、工期の遅れは復興の遅れ。課題は走りながらクリアしていこうと腹を決め、作業を開始しました」
 入社以来、ダム建設に携わってきた赤嶺敏也が、大所帯をまとめ上げてきた経験を買われ、楢葉町除染作業所の福島再生統括所長に就いた。
 並行して作業する地区(工区)、それぞれが独立した現場のようなもの。赤嶺は職員も十分な数が必要だと考えた。北海道から九州まで、全国の前田事業所が人員を楢葉町に送り出した。
 その数、最盛期で約200人。文字通り、前田をあげての工事となった。

 

地図作りからの出発

 

 作業所が直面した課題のひとつが、正確な施工数量の把握だった。発注時の計画は、不動産登記上の地目と地権者から得られた情報に基づくもの。しかし、町は生きものだ。公図と都市計画図が現況と一致しないことがある。田畑があると聞いて山道を登ると、山林だったこともあった。
 農地と山林ごとに除染作業が異なるためその都度、現場は混乱し、確認に追われて作業の手が止まってしまう。
 「工期と品質。監理を徹底する上で、施工数量は一番の基本です。その可視化のため、発注者である環境省と協議し、私たちが現況をあらためて調査することになりました」
 工務担当の大澤の号令一下、職員が地図や衛星写真を頼りに町内の道という道を踏破し、現況を一枚の地図にまとめあげた。目に見えて、作業効率がぐんと加速しはじめた。

 

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