No.65

旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト 座談会①

  
Round-table discussion

座談会旧渡辺甚吉邸の魅力

 
旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト 座談会

ICI総合センター敷地内での移築工事が進められている旧渡辺甚吉邸。
プロジェクトに関わってきた4人の研究者にお集まりいただき、
移築工事中の甚吉邸の見学会を実施。
甚吉邸の魅力や後世に残すべき価値について語っていただきました。(2021年9月に実施)

建築史家・建築家

藤森

ふじもり てるのぶ
TERUNOBU FUJIMORI
1946年長野県生まれ。1978年東京大学大学院工学系研究科満期退学、工学博士。現在、東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長。1991年神長官守矢史料館で建築家デビュー。『建築探偵の冒険・東京篇』(ちくま文庫)など建築関連の著書多数。

建築史家・建築学者

内田青

うちだ せいぞう
SEIZO UCHIDA
1953年秋田県生まれ。1983年東京工業大学大学院工学研究科満期退学、工学博士。現在、神奈川大学工学部建築学科教授。2004年日本生活学会今和次郎賞を受賞。著書に『あめりか屋商品住宅』、編著に『拙先生絵日記』など(いずれも、住まいの図書館出版局)。

建築史家・歴史工学家

谷礼仁

なかたに のりひと
NORIHITO NAKATANI
1965年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科をへて、1995年同大学院博士課程終了、工学博士。現在、早稲田大学理工学術院創造理工学部教授。2013年日本生活学会今和次郎賞を受賞。著書に『未来のコミューン』(インスクリプト)など。

建築史家・生活史家

文代

すざき ふみよ
FUMIYO SUZAKI
1977年千葉県生まれ。2004〜5年日本EU政府国費留学AUSMIP、2006年千葉大学大学院博士前期課程修了、2010年日本学術振興会特別研究員DC1、2014年神奈川大学大学院博士課程修了、博士(工学)。2015年日本生活学会第1回博士論文賞受賞。現在、神奈川大学工学部建築学科特別助教(2022年より准教授)。著書に『台所見聞録』(共著、LIXIL出版)等。

解体前の甚吉邸 正面より

解体前の甚吉邸 正面より

撮影:傍島利浩

今 和次郎による甚吉邸スケッチ

今 和次郎による甚吉邸スケッチ

所蔵:工学院大学図書館 撮影:佐治康生

渡辺甚吉邸の発見と建築家・遠藤健三との邂逅(かいこう)
チューダー様式となった理由とは?

──旧渡辺甚吉邸(以下、甚吉邸)の発見者と称されている藤森先生。まずは発見した当時のことをお聞かせください。

藤森 私は当時(1970年代半ば)建築探偵団という活動をやっていて、東京の洋館を見て回っていたんです。
 そしてある日、たまたまですが白金台を歩いていたとき、ある小路に入ったら正面にチューダー様式の建物が見えたんです。これは面白そうだと思い進んでいったら、甚吉邸があったわけです。ただし最初は、どういう建物なのかまるでわかりませんでした。
 印象的だったのは、入り口のところにある外灯です。そのデザインを見たときに「これはすごい!」と確信しました。チューダー様式の洋館はほかにもありますが、こんなに上品で腕のいい作りの外灯は初めて見ました。

──建物全体の構造というより、細部にピンときたんですね。

藤森 そうです。扉が閉まってましたから、中はわからなかったんですよ。ただ門の辺りを見ただけでも、すごくレベルが高い建築であることはわかりました。鉄平石を使った壁や門柱も見事。そしてそういった内容を、ある雑誌の記事にしたんです。

内田 そうしたら、建築家の遠藤健三さんから電話が来たんですね。

藤森 そうです、急に遠藤さんから電話がかかってきたんです。「あなたが記事にした建物、あれは俺が作った。だから話を聞きに来い」という内容でした(笑)。そこで後日、遠藤さんのもとを訪ねて話を聞いたんです。
 その頃はスリランカ駐日大使公邸、そしてその後は結婚式場としても使われるようになったその建物は、もともとは渡辺甚吉という人物の邸宅だったとわかりました。起工は1933年(昭和8年)で竣工は1934年(昭和9年)。話によると渡辺家は岐阜の名家で、甚吉氏はそこの当主。遠藤さんも岐阜の生まれで、知り合いだったそうです。

中谷 遠藤さんは、甚吉氏のヨーロッパへの遊学にも同行したんですよね。

藤森 そうそう、1930年のことです。さまざまな国を訪れましたが、一番長くいたのがイギリスで、現地で車まで購入し、名所旧跡を回ったとのこと。
 そのとき気に入った建物がチューダー様式で、「家を建てることになったら、チューダーだな」と二人で話したそうです。そして帰国後、しばらくして甚吉氏は結婚して東京に家を建てることになり、建設の依頼が自然と遠藤さんに来ました。もちろん様式はチューダーです。

──チューダー様式が選ばれたきっかけは、2人の青年によるヨーロッパへの遊学だったということですね。

藤森 本当に面白い話でしたよ。どうやって日本に洋館ができていったのかがわかるエピソードでした。ちなみにその当時、遠藤さんは岐阜に「エンド建築工務所」を開いていましたが、それ以前は東京の住宅会社「あめりか屋」に勤めていました。甚吉邸を建てるに当たっては、そのころの先輩にも声をかけたんです。

 
The former Jinkichi Watanabe Residence