No.65

旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト 座談会②

  
Round-table discussion

座談会旧渡辺甚吉邸の魅力

 
旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト 座談会

遠藤健三、山本拙郎、今和次郎の3人が一堂に会し
奇跡の住宅の建築が始まった

内田 遠藤さんが声をかけた先輩というのが、建築家の山本拙郎さん。実は私はそのころ、あめりか屋の研究をしていて、藤森先生から「あめりか屋に勤めていた人がいたぞ」という話を聞き、遠藤さんのところに連れていってもらったんです。拙郎さんのことは話には聞いていたんですが、詳細はわかっていませんでした。遠藤さんにいろいろ話を聞くことで、明らかになったんです。

藤森 二人は、共に早稲田大学の建築学科で学んだ先輩と後輩です。そして拙郎さんは卒業後あめりか屋に入社。その拙郎さんに誘われて後輩の遠藤さんも同社に入りました。拙郎さんは設計するだけでなく、雑誌「住宅」の編集・執筆も担当していました。

内田 拙郎さんは、いわゆる生活派の建築家。芸術派の建築家であるライトの弟子の遠藤新と論争を展開したこともあります。住宅は単なる芸術ではなく、住む人の生活の場であると考えていたんですね。

中谷 彼らが、特に装飾面に関して今和次郎さんに協力を求めたというのも注目すべき点ですね。

──今和次郎氏は、大学時代の恩師なんですよね。

内田 今さんは早稲田大学建築学科で教鞭を執っていた方です。つまり拙郎さんも遠藤さんも、その教え子だったわけです。

須崎 考現学の提唱者としても知られている今さんですが、建築や意匠も手掛けていました。ただ意匠に関しては実作が少なく、幻のデザイナーと称されるともあります。その今さんが装飾やインテリアを手がけたというだけでも、甚吉邸は特別な住宅ですね。

中谷 今さんは考現学という、日本の近代でも一風変わっているけど、相当複雑な思考を持った活動をしていました。しかし甚吉邸の装飾では、ほかでは見せないピュアな部分も見せている。そういうことも含めて、非常に込み入った複雑で瀟洒な住宅だと言えるでしょう。

藤森 実際に今さんに会ったことがある人から話を聞くと、変なエピソードばかりが出てきます。例えば、高級ホテルに入るときに「ネクタイがないとダメです」と言われた今さんが、靴ひもを外して首のところに結んだとか(笑)。そういうことを、面白がってやる人だったそうです。あと遠藤さんが夜に今さんのところを訪ねると、スプーンのデザインをやっていて、スケッチを元に木を削りプロトタイプを作る作業を黙々と、うれしそうにやっていたという話もあります。

チューダー様式
内田青蔵

内田青蔵

──デザインが好きで、いろいろな意味でこだわりの人だったんですね。

中谷 今さんが設計したのはインテリアや金物などの装飾なんですが、その完成度は当時の日本の中では突出しています。遠藤さん、拙郎さん、そして今さん。この3人が集まることで、奇跡的とも評される完成度の邸宅が作られたのでしょう。

須崎 あと、日本にはほかに例があまりないのですが、この甚吉邸は日本版のアーツ&クラフツの住宅という捉え方もできそうです。それほど手の込んだ建物ということですね。
 また同じチューダー様式でも、けっこう粗い印象の建物もあります。しかし甚吉邸はエッジを丸くした部分が多く、繊細な感じがします。特に応接間の太い柱とかは、思わず触りたくなるような気持ちのいいデザインですよね。

──チューダー様式の住居は、日本に多いのでしょうか。

藤森 以前はけっこうありましたね。幕末、明治以降の日本では洋館がたくさん建つんですけど、なぜかチューダー様式が多かった。洋館にもはやり廃りがあり、例えばスパニッシュは一時流行しましたが、あまり続きませんでした。しかし、チューダー様式は一貫して作られ続けました。
なぜ日本人はチューダー様式が好きなのかと考えると、木で作られた洋館であることが大きかったのだと思います。特にチューダー様式は、ハーフティンバーがわかりやすい特徴ですが、木の素材感を素直に出します。それが親しみを持たれた理由でしょう。甚吉邸は、そんなふうに日本人に愛されたチューダー様式の最後の代表作、到達点の住宅と言えます。

──しかも甚吉邸は、年月が経っているにもかかわらず、竣工当時の状態がほぼ保たれていますね。

中谷 改修などの変更もほとんどされていません。よほど施工や素材が良かったんでしょう。

さまざまな様式が共存する唯一無二の邸宅
その裏にあるのは施主に対するホスピタリティ

──甚吉邸には、いろいろな様式の部屋がありますね。

中谷 それも大きな特徴です。外観をはじめ全体的にはチューダー様式ですが、1階の応接室は私的な礼拝所であるチャペル風、2階の客間は伝統的な和室、そして主寝室は、フランスの宮廷文化に起源を持つロココ様式。さらにロッジ風の空間やゴシック様式の装飾もあります。しかし破綻することなく、うまくまとめられています。
 私が特に見事だと感じたのは、和室からロココ様式の主寝室に移動するところ。この部分の建具が、和室から見ると和室らしく見えて、主寝室から見るとロココ調に見えるのです。うまいやり方ですね。

須崎 文献を読むと、今さんはこの建築では「伴奏をした」と語っています。全体の「指揮」ではなく「伴奏」。しかし、そのリズムや響きが全体に影響を与えていたのではないかと私は考えています。うまく基盤を作り全体の統一感を作っていたということですね。ただし、ロココ様式に関しては、今さんの思い入れは強かったようです。彼は東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の卒業制作からロココにこだわっていました。教壇に立ってからも、授業の最初は必ずロココだったと教え子が伝えています。あと、これは藤森先生に聞いたんですが、今さんは、両手でロココの線を描ける達人だったとか(笑)。

中谷 複数の様式が共存しているのは、今さんの影響に加え、拙郎さんがクリスチャンだったことも関係しているのでないかと思います。つまり、キリスト教的な奉仕の精神に基づき、施主や住む人に対して、建築家は献身的であるべきと考えていたのではということです。その結果、部屋の用途に合わせて、様式を使い分けるような設計になったのでしょう。

内田 そうですね。実際チューダー様式に関しても建築家がやりたかったわけではなく、施主が求めたからでした。そして施主が求める様式で、かつ施主に喜んでもらえるような優れた設計とデザインをしようと心がけたわけです。装飾に関しては専門家である今さんを連れてきて、より豊かな空間を作ろうとした。まさに施主に対するホスピタリティですね。
 私はそこに生活派の建築家だった拙郎さんの意識の高さ、そして住む人のための空間を作るということに自分の力をそそぐという姿勢を感じます。自分が表現したいものに力を注ぐのではなく、ですね。

──甚吉邸は、平面図で見た場合も独特の形状になっていますね。

藤森 そうなんです。平面図を見ると、かなり出たり引っ込んだりしているのです。凸凹ですよね(笑)。本来のチューダー様式の建物は、もっと単純な形状になっています。先ほど話にあったように、これは住む人が住みやすいようにと拙郎さんが考え抜いた結果なのでしょう。住む人の要求をいろいろ聞いて、その度に内側から外側に膨らませた。そういう経緯があったと思われます。

中谷 こういった設計は、なかなかお目にかかれないですね。平面図をパッとみると、まるで日本の書院造りのようです。これも拙郎さんのプランニングなのでしょう。

藤森 一見複雑ですが、秩序もあります。そして洋館ではありますが、実に日本的な家でもあるんです。

中谷礼仁

中谷礼仁

解体前写真2

撮影:傍島利浩