旧渡辺甚吉邸(以下、甚吉邸)の移築プロジェクトは、甚吉邸を記録し、慎重に解体するところから始まりました。それは、この貴重な建築物に込められたこだわりや設計における創意工夫、職人たちの至高の技をひも解く道のりでもありました。移築を前提としているため、解体を始める前に内部の要所は3Dスキャン、および360度カメラ※で記録し、部材は全て番付しました。
解体作業が始まると、甚吉邸の真の姿が見えてきました。外観、内観に露出している柱や梁が特徴のチューダー様式の洋館ですが、露出部分は化粧材で構造部材は内部にあり、従来の木造軸組構造でした。これは現代のスケルトンインフィルの考えに近く、この仕組みによってロココ様式、ロッジ風、ゴシック様式、和風といった部屋ごとに異なる様式を実現したようです。
ほかにもさまざまな発見がありました。白く塗られた夫人室の壁を剥離剤で丁寧にはがすと、動物や植物が描かれた壁紙が出現しました。品番を調べると、旧朝香宮邸など同時代の大邸宅で使われていたものでした。また、床板には階段の手すりの原寸図が描かれていました。建築時に設計図として描かれたもののようです。
これらの痕跡や、板に残された墨の跡などは残しつつ、全ての部材を整理しながら解体を進めました。
解体した甚吉邸の部材は丁寧に保管し、ひとつひとつ調査しました。
木部材は、90年という月日を経ている割に比較的良い状態を保っていましたが、経年による木材のやせや反り、劣化も見られます。欠損部や腐朽した個所は除去して、矧木や埋木、継木などの伝統技法で、職人が繕いました。
繕った部分や変更した木部材には、「令和二年度修補」と焼き印を入れました。将来の解体修理の際に、いつの補修かわかるようにするためです。
小屋梁には引張、圧縮、曲げの全ての力がかかるので、強度の高い松の丸太を使っています。既存の部材ですが、曲がりやゆがみのある太い丸太をきれいに収めるには、職人の高い技能が必要です。
床板なども番付に合わせて元のとおりに組み上げていきますが、経年によるやせやゆがみの影響で、わずかなズレが生じて釘穴が合わないことがあります。そういったズレをいかにして解消していくかも、職人の腕の見せどころです。移築作業は、文化財の復原などに長けた風基建設の協力を得ています。
正面の妻壁屋根にある破風板は美しい波形の模様が施され、甚吉邸のファサードを彩る象徴的な部分です。しかし風雨にさらされ腐朽が多く、特に右側の板は繕いでは補修できない状態でした。
そこで、ICIラボに設置されている木造多軸加工機※を使って、復原を試みました。高精度の3Dスキャナーで損傷が少ない部分をスキャンし、それをベースに破風板全体の3Dデータを作成。多軸加工機にデータを入力して、無垢のタモ材を切削加工しました。手作業だと1カ月程度かかる作業ですが、多軸加工機では、約3日ほどで仕上がりました。
左側の破風板は、職人が手作業で繕いました。腐朽部分を削った個所に寸分違わぬ部材をはめ込む埋木という技法を使います。甚吉邸の破風板は、「手斧がけ」という作業で削ったあとに丸のみで削り、荒々しさを演出しています。繕い作業では同じ道具を使い、職人が仕上げました。これにより、甚吉邸正面の破風板では、左右で、職人による匠の技と当社の最新技術の競演が見られます。
食堂の天井は華やかで幾何学的なレリーフが特徴です。これは、あらかじめ成形したユニット状のものを取り付けていました。この天井をはじめ、邸内各所の美しいレリーフは、解体前に高精度の3Dスキャナーを使ってデータ化しました。これらのデータは、復原方法の開発などに利用されます。ここでも新旧の技術が生かされています。
忠実に復原するためには、先人が残した痕跡をたどる必要があります。釘や墨の跡、部材のわずかな傷や干渉した名残なども重要です。とはいえ、経年による木材のやせやゆがみでそのまま組み付けるのは難しく、木の素性を見て微調整します。また、多軸加工機で復原した破風板では、手斧がけや丸のみでの削り跡など、当時と同じ道具を使って再現しています。各所で当社の職人と技術者の知識と技が生かされています。
施工管理を担当しています。「継手」などの伝統技法や、「寸、尺」という単位の設計図など、戸惑いもありました。資料を調べたり、職人さんに教えてもらったりしながら、移築における施工と安全の管理を学び、当社の文化事業のノウハウを蓄積していきたいです。
新しいコミュニケーションが始まる場所
大型の工事が多い当社の業務とは異なる個人宅、昭和9年の珠玉の建築、そして移築と、新しいことへのチャレンジが重なり、個人的には、建築の初心に戻るようなプロジェクトだと感じています。
建築という形で、そこに込められた数々の匠の技に触れられることは、社員にとってもいい機会になると思っています。
移築プロジェクトを進めるにつれて広がっていく新しい人脈や、ICIラボの新技術との競演など、甚吉邸には、人的にも技術的にもコミュニケーションが始まる場所としてのポテンシャルを感じています。