Introduction
2022年4月、大阪市で工業用水道の事業体制が変わった。
「工業用水道事業の経営の持続性を確保しながら、地盤沈下対策及び産業活動の基盤として工業用水を安定して供給する」ことを目的に、施設の所有権は大阪市が保有したまま、運営権を民間事業者に譲渡するコンセッション方式を採用することを決定。その優先交渉権を獲得したのが「みおつくし工業用水コンセッション株式会社」だ。
この会社は前田建設を主体に、日本工営、NTT西日本、東芝インフラシステムズで構成されたコンソーシアム(共同事業体)。代表取締役社長には前田建設の後藤充志が就任した。前田建設は10年ほど前から「脱請負」へのチャレンジを始めているが、このコンソーシアムもその一環と言える。
「100年後も工業用水道を持続的に支える“大阪工水モデル”」を構築することを目標に掲げたこの事業は、いよいよ本格的にスタートした。
Project Members
みおつくし工業用水コンセッション株式会社
代表取締役社長
後藤 充志
Atsushi Goto
1998年入社/社会基盤工学専攻
「民間のノウハウを活用して工業用水道を存続させる」
その大阪市の決断に応えるためのプロジェクト。
戦後の復興にともない日本各地で工場の建設が加速した。工場において、水は原料としてだけでなく、洗浄や冷却などさまざまな用途に欠かせない。当時、多くの工場は工業用水として地下水を利用していたため、やがて工場が多い地域では地下水位が低下し地盤沈下問題が多発するようになった。その対策として導入されたのが工業用水道だ。上水道よりも水質は劣り、飲用はできないが料金は安い。大阪市でも地盤沈下対策として1954年から工業用水の給水を開始している。
「ところが工場の海外移転などによる利用者の減少や、節水技術が進んできたこと、さらに施設の老朽化に伴う更新や改修費用の増大などによって、収益性がどんどん悪化してきました。これは全国的な問題で、各自治体が独自の取り組みを始めているものの、まさに試行錯誤の状態です。たとえば東京都は工業用水道事業の廃止を決定して上水道への切り替えを進めていますが、大阪市は民間のノウハウを活用するコンセッション事業を採用し工業用水を存続させる道を選んだわけです。これは前例のない試みだけに、難しさはあるものの私たちにとって大きなビジネスチャンスだと考えています」と後藤は語る。
実際、このコンセッションは4つの点で日本初の事業となっている。第一は民間事業者が経済産業大臣から許認可を受けた工業用水道事業者として事業を運営する点。第二は管路の維持管理や料金徴収を含めた工水事業一連の業務を一体的に実施する点。第三は最先端技術などを用いた管路の状態監視保全システムを構築する点。第四は更新が必要な管路を厳選し、更新と修繕のベストバランスによる管路ネットワークの長寿命化を図っていく点だ。日本初の試みを成功させるために、後藤は前田建設を中心に、日本工営、NTT西日本、東芝インフラシステムズ各社がそれぞれに持つ得意分野のノウハウを結集して挑戦を始めている。
独自の状態監視保全システムを構築し、
大規模漏水の未然防止と管路の長寿命化を実現する。
「工業用水道の運営権を民間に委ねるコンセッション方式は、宮城県や熊本県でも始まりましたが、管路の維持管理・更新まで民間が担うのは現在のところ大阪市だけです。前例はない。これは大規模漏水事故の未然防止と管路の長寿命化を実現するのが主な目的ですが、じゃあ、これをどんな方法でやるか。まずそこで苦労しました」。
後藤たちは提案のときから、独自の状態監視保全システムを構築して管路の維持管理を行うことをアピールした。様々な情報をデータ化するセンシング技術や、衛星画像を利用した地中の漏水状況を把握する技術などを駆使して、日本最先端の管路の状態監視保全システムを構築する。そうすれば、単純に古い順からの更新ではなく、本当に更新が必要な状態の管路を厳選できる。喫緊に更新が必要でないと判明したものについては計画的な修繕によって長寿命化を実現していけばいい。
「この状態監視保全システムは日本工営さんと一緒に考えて構築し、今も改良を重ねています。前田建設はどちらかというと新しい構造物を創るのが得意ですが、日本工営さんには保守修繕に関するノウハウが豊富にあります。互いの技術や知識をすり合わせて前例のないものを構築していくプロセスは、苦労は多いですが新しいことに取り組んでいるという充実感があります。これがやがて全国標準のシステムになるかも知れない、それだけ価値のあるものを創り上げていくんだという自負もあります」。
状態監視保全は、まず広い範囲での管路の漏水を対象にした「広域探査」、そこからエリアを絞り込んだ「範囲探査」、最後にピンポイントで漏水を調べる「箇所探査」というプロセスをたどる。また、大規模漏水リスクと社会的影響度の大きさを考慮して、各管路をグループ分けし、グループに応じて状態監視を行う技術を決めていく。プロセスと使用する技術によって、漏水音センサや衛星画像分析、路面音聴調査などの手法を使い分ける。また見つけた地中漏水を修繕や更新するなど、管路の維持管理を行う。これが後藤たちの状態監視保全システムの提案であり、大阪市はそれを高く評価したわけだ。
スタートから1カ月後、漏水事故に直面。
さっそくコンセッション方式のメリットが発揮された。
事業開始から1カ月後に、後藤たちはいきなり大きなトラブルに見舞われた。大規模な漏水が発生したのだ。契約では、管路の緊急修繕は引き続き大阪市水道局が実施することになっている。だが事態はかなり深刻だった。水道管は基本的には地中に埋設されているが、河川や水路などを横断する場合には地上の橋で管を通す。この水管橋に穴が開いた。普通は管に補修バンドを嵌めて穴を塞ぐのだが、運悪く水管橋端部に位置しているため、構造的にバンドが嵌められない箇所から漏水していたのだ。
「従来の方法では漏水位置的に早期に修繕するのは難しいと、水道局は頭を抱えていました。じゃあ、すぐに他の修繕方法を探してみようと、いろいろ当たってみたところ、たまたま過去に文献で見た『ウルトラパッチ工法』が使えるんじゃないかと、業者に声をかけたんです。ウルトラパッチは紫外線硬化型のFRPシートですが、紫外線を当てると短時間で硬化し十分な強度が得られます。結局これを巻いて穴を塞ぐことで従前よりも迅速に漏水を解消することができました」。
工事中は断水し、漏水箇所より下流には一次的に上水を供給する。断水は数時間程度で収まったが、約80社の利用者への事前連絡も後藤たちが行った。事業開始早々、コンセッション方式のメリットが発揮されたわけだ。
「私たちの課題のひとつは、状態監視保全システムをどう効率的に運用していくか、どう改善することで精度を上げていくかということにあります。それによって大規模漏水の未然防止と管路の長寿命化を確実に実現していくことが使命だと思っています。早く安全に漏水を修繕できる技術も、そのシステムの一環と考えています」。
状態監視技術の一つとして、衛星画像を解析して漏水を見つける技術がある。それを使ってみたところ漏水が疑われる地点が大阪市内で165カ所見つかった。ただ工業用水と上水が隣接している場所だと、どちらの漏水かまでは特定できない。確実に漏水だとも断定できない。まだ発展途上の技術なのだ。新しい技術を試してみたり、アプローチの方法を変えてみたり、挑戦すべきテーマは山積している。
“3つのサスティナビリティ戦略”で
100年先を見据えた「大阪工水モデル」を構築していく。
『100年後も工業用水道を持続的に支える「大阪工水モデル」を構築します』。これが「みおつくし工業用水コンセッション株式会社」の経営理念だ。この「大阪工水モデル」は「サスティナブルな収益基盤」「サスティナブルな費用構造」「サスティナブルな運営体制」という、“3つのサスティナビリティ戦略”から成り立っている。収益基盤と費用構造と運営体制を見直すことで「大阪工水モデル」を実現し、これをもとに全国展開するのが目標なのだ。
1番目の「サスティナブルな収益基盤」とは、まず営業コンサルタントチームが利用者とのコミュニケーションを深め、ニーズへと掘り下げていくことから始まる。そしてニーズに応じた新料金プランや、新規利用者の費用負担を軽減する新規開始支援制度などさまざまな創意工夫によって収益性の向上と事業継続性を実現しようというものだ。
料金では、利用者が選択できる新しい「試験料金プラン」を設定した。この新プランでは使用水量が前年度の1.1倍を超えた利用者には、その翌月から超過料金を10%割り引く。ただしコンサルティングサービスを受けることが条件だ。コンサルティングサービスでは利用者の工業用水の効率的な使い方から、工業用水の用途拡大によるコスト削減までさまざまなメニューを用意している。単なる割引ではなく、利用者の使用水量増加による継続的な収益性向上につなげていく。
あわせて新規利用者の費用負担を軽減することで、利用者の拡大も目指す。「利用開始時に配水管から新規利用者の敷地まで給水管を引き込む必要がありますが、この費用は利用者の負担となります。この工事費用が利用開始のハードルとなっていました。そこで、1年目で一定以上の工業用水道料金を支払った大口利用者には、その工事費用の一部を当社が負担したり、従来は全額前納だった工事費用を分割払いできるサービスも開始しました」。
2番目の「サスティナブルな費用構造」の核となるのは、先進技術を活用した状態監視保全システムの構築と、大規模漏水リスク評価手法の確立だ。大規模漏水リスクを低減することで、管路の維持管理費や更新費、修繕費を抑制し、費用構造を抜本的に改善していく。
3番目の「サスティナブルな運営体制」は、業務知識・ノウハウをマニュアルやICT・IoTによって形式知化し、特殊な経験や暗黙知のみに依存しない体制を確立することを目指す。少数精鋭で柔軟に対応できる運営体制を実現するために、組織横断で業務のマルチタスク化を推進し、継続的な組織運営を実現しようとしているのだ。
新しい利用者の獲得と新しい使い方の提案で収益性の向上と事業の継続性を実現する。
「工業用水の管路は、上水道のように広範囲に張り巡らされているわけではありません。工場などの施設が多い地域を中心に管路が通っています。配水管から利用者の敷地までの給水管設置費用は利用者の負担となるため、配水管から遠い工場などはコストが高くついてしまって廉価な工業用水のメリットが生まれにくいんです。ですから管路から近い工場をターゲットに工業用水の利用を呼びかけるDMを送付するなど、利用者拡大のための営業活動も始めました」。
「上水と工業用水を用途別に併用すれば、水道料金はかなり低減できます。災害時には一次的に上水を利用できる仕組みをつくっておくことで、災害時に緊急避難先になる病院や学校での工業用水利用でも、水の確保という課題を解消できます。これまで工業用水が積極的に活用されていなかったそういった施設でも、上水と工業用水の併用というアプローチをしていけば、潜在的なニーズはかなり掘り起こしていけると思っています。また、これまで建設工事に必要な水についても、工業用水が供給されてきませんでした。2025年の大阪万博やIRに向けて、これから大規模な工事が予定されていることもあり、まさに今がビジネスチャンスだと思っています」。
新しい利用者の獲得と、新しい使い方の提案で収益を広げていく。いかにも民間ならではの発想だが、大阪市の工業用水道の事業形態が官から民に変わり、利用者のニーズに沿ったさまざまな取り組みが始まっていることは、まだあまり知られていない。
「これまでの市のやり方とは変わったという情報を伝えていくのが現状での課題です。どんな方法でPRしていくか。これも従来の前田建設では経験したことのない分野です。いろんなアプローチを試しながら効果的なPR方法を模索し、需要を拡大するためのサービスメニューの開発を通じて、これからの工業用水道事業のスタンダードモデルとなるようなビジネスを確立し、やがてはそれを日本全国の水道事業の澪標(みおつくし)になるようめざしたいと思っています」。